2011/7/4

夏越の祓いから七夕に何を召し上がりますか?

早くも良幸(うさち)年が折り返しとなりました。
まだ暦の上では、暑さの始まりなのにすでに
酷暑の連日です。皆さま体調など崩されていませんか?

おかみは、6月30日の夏越の祓いは、仕事で初めて訪れた
香川県の東かがわ市でみつけた、地元白鳥神社の
お供えのお下がりである「武道(ぶどう)餅」をいただき
残り半年の皆様の身の安全の祈願をしました。
このお菓子は、阿波と讃岐の戦いの多かった時代に
戦う武士の武運と身の安全を祈って、餅団子を串にさして
戦力餅としたところから「武道餅」と名づけられたそうです。
見た目が「葡萄の実」に似ていることからのちに「ぶどう餅」と
呼ばれるようになったそうです。
実は、おかみは、市内のお店の看板やパンフレットなどの
表記が「ぶどう餅」となっているので、謂れを聞くまでは、
「この地域は、ぶどうがたくさん栽培されているのかなぁ」と
勝手に思い込んでおりました。これが「ぶどう餅」です。

ぶどう餅

夏越が終わると7月7日は、「七夕」です。
中国では、七夕のひこぼし・牽牛星は農業の時期を知る目安として、
またおりひめ・織女星は養蚕等の仕事を司るという信仰があり、
年に一回の逢瀬が無事にかなうことを祈る行事でした。
日本では、平安時代から竹竿に糸をかけて願いを星に祈るようになり
その作法が室町時代になると簡略化され梶の葉に歌を
書きつけて季節のものを供え、星祭りに歌を手向けることが
主たる行事となったそうです。
私たちは、お稽古ごとなどの上達を願い短冊に
願い事を書き、葉竹に飾る行事として教わることが多いのですが
本当は、農事暦などに関わる行事だったのです。
現代のように短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に
設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで
江戸時代から始まったものだそうです。
食いしん坊のおかみは、また食べる話しになるのですが
七夕の夜の朝廷の食事は、中国の故事に基づき
索餅(小麦と米の粉を練って細く紐状にしたものを
二本の縄のようにない合わせたもので、
その形態からむぎなわといった)を食べていたそうです。
江戸時代になると、それまでは食べていた索餅を
梶の葉に包んで梶の皮でくくり、屋根に投げ上げたそうです。
その後、索餅が素麺に変わり、七夕に素麺を食べるようになった
といわれています。
おかみは、昨日、東京會舘で開催された
鈴木料理長の七夕・星祭りの献立のお食事会に
お誘いをいただきその際に、梶の葉に
盛り付けられたお造りをいただきました。
梶の葉は、この献立のために都内の公園で梶の木を探して
ご用意くださったものです。

梶の葉に盛り付けた鱧の湯引き・和歌山の梅を添えて

7日の夜の献立におかみは、素麺をいただこうと思っています。
皆さまも是非、お試しください。

By  おかみ@堀田 正子

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